今日の言葉は「スコトーマ」
先日はコンフォートゾーンについて少し自分なりに考えたことを書き連ねましたが、今日はその時調べていて遭遇した「スコトーマ」という単語についても触れておきたいと思います。
「スコトーマ」とは、ギリシャ語を語源としていて、主に眼科医が「視神経の構造上、情報を取得できない視覚的盲点」を指すことが本来の意味でした。
それを心理学の分野で用いて、心理的に盲点となる情報のことも「スコトーマ」と表現されるようになったようです。
では実際に、心理的な盲点とはどういった意味でしょうか。
この言葉の意味をさらに調べてみると、そもそも私たちは自分たちの目の前に広がる景色をそれぞれが見たいように見ている、とのことでした。
例えば、女友達と二人で歩いていて、イケメンとすれ違ったとしましょう。
一人は面食いのため、相手の顔にまず目を向けます。一方、もう片方はファッションに興味があるため、男性が身に着けている服に注目します。
すれ違った後に、お互いが「今の人、かっこよかったね」「さっきの人のシャツ良くない?」と言っても、それぞれ見ていた部分が違うので、「あれ?通じない」となってしまいます。見ている対象は同じなのに、注目する部分が違うと見える世界や情報は全然違ったものになりますね。
この価値観の違いこそが盲点を生み出しているのです。
自分の価値観によって、必要な情報を無意識のうちに取捨選択しているため、情報のキャッチの仕方が周りの人とは変わってきます。
情報過多の時代において、無意識に自分が必要としていない情報を判別できるのは、良いことのように聞こえます。
しかし、ここで冒頭のコンフォートゾーンとつながってくるわけです。
一見、自分が今まで必要としていなかった情報というのは、今後自分の視野=コンフォートゾーンを広げるためには逆に必要になる情報の宝庫です。
スコトーマとは、一種の色眼鏡と考えても良いかもしれません。
色眼鏡を外し、盲点をなくすことによって自分の可能性はまた少し増えることだと考えると様々な情報に触れておきたいとうきうきしますね。
『嫌われる勇気』を読みました
雑草魂の選書はおそらくいささか時期外れのものが多いです。話題となっている時に読めばよいのですが、図書館のヘビーユーザーですので、なかなか世の中が沸き立っているタイミングで自分の手元に本が届くことはめったにありません…
しかし、それでも良いと思っています。話題作をその時に読むのも大切ですが、ひと風吹かせた後でも読みたいという読者が続出するとそれは一歩ずつ「名作」と言われるような作品の仲間入りに近づいているように思えます。
今回手に取った『嫌われる勇気』は今でも書店には平積みで置かれている光景を目にしますし、昨年2017年1月クールのドラマ化が記憶に新しいですね。
内容は完全にノンフィクションものですが、哲人と青年がアドラー心理学について対談式で討論する書かれ方ですので、小説のように世界観がしっかりと作られていた印象を受けました。
ページをめくるごとに「こういった考え方があるのか!」といった発見がありすぎて、すべては載せきれないのですが、特に心に響いた箇所をシェアさせて頂きたいと思います。
アドラー心理学について説く本書の哲人は、アドラー心理学を「勇気の心理学」と表現しています。それは例えば、「幸せになる勇気」「普通であることの勇気」「他者を変える心理学ではなく、自分が変わるための心理学」。もちろん「嫌われる勇気」も。
本書に登場する青年のように、読み進めてみて確かに理解は出来るけれども、納得まで落とし込めないというのが正直な感想です。
ただ、「普通であることの勇気」は思い当たる節もあって自分の中ですんなりと受け入れることが出来たのではないかと思っています。
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それはある日のことでした。電話対応をしていた雑草魂の対応について、相手側から厳しいお言葉を頂いたことがありました。その際、上司からかけてもらった言葉というのが、「普通の対応をすればいいんだよ」でした。
さらには、「度が過ぎるほど丁寧な対応をしているから、『お客様は神様だ』みたいな考え方が浸透してしまう。ただ、普通に、失礼のない対応というのが理想であって、実行するのが一番難しい」という言葉が続きました。
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確かに「普通」は難しいです。それぞれの尺度によって変わってくる概念でもありますし、少しでも自分をよく見せたいというプライドが邪魔するからです。
でもそれは哲人に言わせてみれば、「勇気が足りないだけ」。
いつもより少し勇気を振り絞って「普通」であることを心掛けるのも悪くないかもしれません。
「アファーメーション」も気になります。
この言葉も最近、よく耳にする気がします。
英語のAffirmationに、「肯定」「確定」「断定」といった意味があることから、「自分自身に対する肯定的な宣言」をアファメーションと言います。
「自分を肯定する宣言」って堅苦しい言い方だと結局なんのことやら、となりますね。
要は、「自分は出来る」といった自身へのポジティブフィードバックのことです。
皆さんも自分の内なる声と会話することってあると思います。
「どうせ今日もだめなんだろうな」
「明日が来てほしくない」
「上手く行く気がしない」
などとネガティブな思考になりがちで苦しんでいる人もたくさんいることと思います。
しかし実は、自分に掛ける声をポジティブなもの、つまりアファメーションを利用していけば思考は変わることが出来るのです。
「今日は何か良いことが起きる気がする」
「明日はどんなことをしようか」
「絶対に上手くいく」
などとポジティブな言葉を並べるだけでも、なんだかその通りになるような気がしませんか?
アファメーションとは、「言霊」とも繋がるのではないかと雑草魂は、この概念を教わってふと感じました。
「言霊」とは、言葉に魂が宿っているという意味になりますが、口にすると幸運を引き寄せることが出来たり、逆に不幸に見舞われることもあったりする考え方も日本には存在しますよね。
自分が発する言葉→自分の耳で聞く→脳に言葉の意味を伝達する→その言葉通りに行動してしまう
といったサイクルが出来上がり、良い意味でも悪い意味でも自分の言葉に囚われてしまうのではないでしょうか。
そのため、言霊だろうとアファメーションだろうと自分が少しでも明るい気分で日々を過ごすためには自分で自分を労ってあげることが大切になります。
実は雑草魂、アファメーションを無意識のうちに出来ていました。むしろ日頃から「根拠のない自信」に溢れていて、もう少し謙虚にならないといけないと考えていた矢先にこの言葉に出会い、ある程度の自信は良いことなのではないかと気が付かされました。
自分に自信を持てるように、アファメーションしつつ、人間的な品位を損なうことはしたくないので、謙虚さも忘れずに…
気になる言葉「コンフォートゾーン」
「コンフォートゾーンから出ないと成長しない」とは、多くのビジネス書に共通して書かれている言葉です。
あまり聞きなじみのない言葉かもしれません。
もとは心理学用語であり、直訳すると、「心地よく感じる場所」。私たちがストレスや不安などを抱えずに過ごせる、安全な環境について指しています。
「ストレスがかからなくて、安全ならそれで良いんじゃない?」
そう感じる人もいるかもしれません。それもそうですが、自身に負荷がかからなければそれだけ自己成長する機会や異なった考え方に出会える確率は圧倒的に減ってきます。雑草魂は思考的な刺激が欲しい派ですので、少しでも良いから自分のコンフォートゾーンから出て、様々なことにチャレンジしてみたいと思うのです。
そのコンフォートゾーンを出ると、ラーニングゾーン、そして、パニックゾーンへと移っていきます。
心地よすぎるコンフォートゾーンから、日々の刺激を求める人はラーニングゾーンへ進んでみることをお勧めいたします。適度なストレスがかかったほうが、パフォーマンスが上がるといった声も多いですね。
そこからさらにパニックゾーンへ進むとなると慎重にならないといけません。文字通り、パニックになる恐れがあるようです…
「コンフォートゾーン」といった心理学的概念を初めて知りましたが、私はコンフォートゾーンで気持ちよく自分の得意分野を伸ばすのもありだと思いますし、ラーニングゾーンで少し視野を広げられるような考え方に触れてみるのも1つなのではないかと感じます。
話は少しズレますが、「コンフォートゾーン」と似たような言葉って案外たくさん転がっているような気がします。
「ぬるま湯につかる」とか「井の中の蛙大海を知らず」とか。
自分の置かれた環境以外にも知らない世界があるんだよ、ってニュアンスは一緒だと個人的に考えます。
ただし、自分の慣れ親しんだ環境から一歩を踏み出すのに大抵の人は多少の抵抗があると思います。私もいくら頭の中で「自分が変わらないと周りも変えられない」と思考を巡らせていても、行動に移すのは難しいです。
そのため、まずは自分の日頃の行動を意識するようにしています。今まで無意識のうちにルーティン化されていた日常が積み重なって、「コンフォートゾーン」を作り上げているのであれば、少しずつではありますが、以前はやりそうもなかったことをやってみたり。
無理のない範囲で変わっていくことを意識するだけで、気が付いたらラーニングゾーンで今まででは考えられないような考え方に出会えること間違いなしだと思い、今日も頑張ります。
一流をありがとうございました。~ベージュアラン・デュカス 東京~
たまには自分へご褒美をあげたい!美味しいものが食べたい!
そう思い立ったので、少し前になりますが銀座のベージュアラン・デュカス 東京へ行ってきました。
誰もが知るブランド「シャネル」が手掛けるフレンチレストラン。
ミシュランガイドにも名を連ねている一流レストラン。
ミシュランと聞いて、胸が躍らない人間はいないのでしょうか。
ブランド力とは凄まじい影響を及ぼしているのだと実感した瞬間です。
さぞおいしいのだろう…と期待しかしていませんでした!1人で行くのは少し寂しくもあったのですが、そんな寂しさも吹き飛ばしてくれるようなきらびやかな空間とホスピタリティに出迎えられて、テンションが一気に上がった単純思考な雑草魂です。
日曜のランチに別世界へと足を踏み入れたところ、おしゃれなマダムたちのランチ会や外国人を交えてのビジネスミーティングなど様々な用途で利用されていることが一目で分かりました。
こんな神聖な雰囲気の中で打ち合わせできるなんて、素敵だなーとつい2度見、3度見とちらちら視線を送ってしまったのはここだけの話。
“日曜の昼間に働いている < ベージュアランで打ち合わせできる”、といった図式が個人的に頭に浮かびましたね。それに、あのような場所で商談を進められるということは出席している一人一人の人間力が高く、気品のある会話をすることができるのではないか、などと想像は広がるばかりでした。
私が選んだメニューは “Tasting Menu”。
前菜、魚料理、肉料理、デザート、食後の飲み物が付いて、13,000円のお料理でした。
普段であれば、金額を見た瞬間に安い料理に変えようと即決していたはずです。
ただ、この日は自分を労うために銀座へ向かったわけですから、値段を見て揺らぐことは不思議とありませんでした。
いざ実食!
「百聞は一見に如かず」という言葉はこの場面に最もふさわしいかと思います。
どれほど美味しかったと文面で綴っていても、このきらきらした写真には敵いようもありません。ただただ目の保養であり、よだれが出るのを抑えるのに必死になるような料理の数々だと思いませんか?!
日常生活では味わうことの出来ない美味な食材を堪能し、私は決意しました。
またこの場に戻ってくる、と!
シェイクスピア、実は好きだったりします。
唐突ですが、雑草魂には身の回りに憧れる人や尊敬する人が何人もいます。それは家族だったり、友人だったり、仕事関係だったり、異業種の人だったり、多岐に渡っているのです。むしろそういった人を探してはロールモデルにしていると言ったほうが正しいのかもしれません。
実はいわゆる偉人と呼ばれる人たちもリスペクトしている一面もあります。
名を挙げたらキリがないかもしれませんが、エジソン・ナポレオン・ジャンヌダルク・モーツァルト・マザーテレサ。日本人であれば、野口英世・戦国三大武将・夏目漱石・紫式部などなどたくさんの人物がいますね。
その中でもシェイクスピアは結構私の中で存在感がひときわ大きい気がします。
ウィリアム・シェイクスピアとは、16世紀のイギリスで劇作家として活躍していた人物です。16世紀のイギリスといえば、エリザベス1世と時を同じくし、黄金期と呼ばれる最中でしょう。
たとえ「シェイクスピア」という人物名を聞いたことがないとしても、彼の作品に目を通してみると、「あー!あれね」となると思います。
37編の戯曲、154編のソネットの中には…
【喜劇】
・『ヴェニスの商人』
・『真夏の夜の夢』
【悲劇】
・『ハムレット』
・『オセロ』
・『マクベス』
・『リア王』
【悲恋劇】
・『ロミオとジュリエット』
などなどがあります。
歴史を振り返ってみると、死後に脚光を浴びるケースも多いですが、シェイクスピアの場合は生きている間に作品がたくさんの人々に受け入れられたようです。
そういったことももちろんすごいのですが、400年以上も前に書かれた戯曲がいまだに読み継がれている点、それもイギリス人だけにとどまらず世界中の人が教養として触れようとするような作品を遺していることがまず特筆すべき点だと思います。
加えて、シェイクスピアは作品だけでなく、我々が日常生活で普通に発している言葉を造語していた点も面白いなと個人的には感じています。
例えば、LOVE IS BLIND(恋は盲目)やALL’S WELL THAT ENDS WELL(終わり良ければ全て良し)。
文章だけでなく、言い回しなども絶妙だと唸るばかりです。
日頃から人と関わる機会が多い雑草魂ですので、シェイクスピアのような言葉使いを少しでも自分のものにしたいため、シェイクスピアの戯曲・映画・舞台などを通して勉強中であります。
自分を通して少しでも多くの人がシェイクスピアの偉大さに魅せられますように…
『7つの習慣』を読んでみました。
数年前の話題作、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』(旧訳版)を今更ながら読んでみました。本書で挙げられている「7つの習慣」とは以下の通りで、最初の3つが特に印象的でした。
- 主体性を発揮する
- 目的をもって始める
- 重要事項を優先する
- 「Win-Win」を意識する
- 理解してから理解される
- 相乗効果を発揮する
- 刃を研ぐ
まず第一の習慣である「主体性を発揮する」ですが、実はこれを実行するのが一番難しいと感じました。日頃から生活するなかで自分が下しているあらゆる決断は全て自分で、自分の意思で決定しているように思えます。
しかし、「今日中にやらなくてはいけないから、やろう」といった外部からの圧力があって初めて動いたり、価値観を理解することが出来なくても、個を控えればどうにかその場をやり過ごすことができるかもしれない、などとついつい思ってしまうこともありますよね。
確かに自分で決めて行動しているかもしれないけれども、主体性となるとニュアンスが違ってくるのではないでしょうか。
次に第二の習慣である「目的をもって始める」ですが、これは冒頭の本の読み方を説く「目的を持って読む」ことのメリットが挙げられていたため、この考え方はビジネス世界だけでなく、日常生活にも通じやすい概念なのだと思います。
確かに本を読むときもその本を読む目的を自分の中で設定をすると内容が入ってきやすくなることは常々実感していることでした。
個人的には、ビジネス書であれば、目次を読んで話の全体像をつかんでから具体的に読み進めていく方が理解は早いですし、芥川賞を受賞した小説などを読む時は、どうして受賞したのか知りたいといった気持ちで読むと細やかな描写や表現方法がどんどん眼に入ってきます。
最後に第三の習慣である「重要事項を優先する」ですが、本書では「①重要で緊急 ②重要で緊急ではない ③重要でなく緊急 ④重要でも緊急でもない」の優先事項グラフを用いて説明をしていて、それを見て私はそこそこ出来ているのではないかと感じてしまいました。
しかし、実は「重要で緊急ではない」ことに時間を多く割くことが重要であると読み進め、ただ自分の中で優先順位を立てて、上から順にこなしていくことに満足していてはいけないと気がつかされたので、自分の生活で「重要で緊急ではない」ことに時間を設けることを意識的にしていきたいです。
なんだか真面目に長文を書き連ねてしまいました。
人間力を磨くのと同時に、自分の環境を変えるためには当たり前ですが、周りを変えようとするのではなく、自分が変わらないといけないことを痛感させられる1冊でした。