『嫌われる勇気』を読みました
雑草魂の選書はおそらくいささか時期外れのものが多いです。話題となっている時に読めばよいのですが、図書館のヘビーユーザーですので、なかなか世の中が沸き立っているタイミングで自分の手元に本が届くことはめったにありません…
しかし、それでも良いと思っています。話題作をその時に読むのも大切ですが、ひと風吹かせた後でも読みたいという読者が続出するとそれは一歩ずつ「名作」と言われるような作品の仲間入りに近づいているように思えます。
今回手に取った『嫌われる勇気』は今でも書店には平積みで置かれている光景を目にしますし、昨年2017年1月クールのドラマ化が記憶に新しいですね。
内容は完全にノンフィクションものですが、哲人と青年がアドラー心理学について対談式で討論する書かれ方ですので、小説のように世界観がしっかりと作られていた印象を受けました。
ページをめくるごとに「こういった考え方があるのか!」といった発見がありすぎて、すべては載せきれないのですが、特に心に響いた箇所をシェアさせて頂きたいと思います。
アドラー心理学について説く本書の哲人は、アドラー心理学を「勇気の心理学」と表現しています。それは例えば、「幸せになる勇気」「普通であることの勇気」「他者を変える心理学ではなく、自分が変わるための心理学」。もちろん「嫌われる勇気」も。
本書に登場する青年のように、読み進めてみて確かに理解は出来るけれども、納得まで落とし込めないというのが正直な感想です。
ただ、「普通であることの勇気」は思い当たる節もあって自分の中ですんなりと受け入れることが出来たのではないかと思っています。
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それはある日のことでした。電話対応をしていた雑草魂の対応について、相手側から厳しいお言葉を頂いたことがありました。その際、上司からかけてもらった言葉というのが、「普通の対応をすればいいんだよ」でした。
さらには、「度が過ぎるほど丁寧な対応をしているから、『お客様は神様だ』みたいな考え方が浸透してしまう。ただ、普通に、失礼のない対応というのが理想であって、実行するのが一番難しい」という言葉が続きました。
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確かに「普通」は難しいです。それぞれの尺度によって変わってくる概念でもありますし、少しでも自分をよく見せたいというプライドが邪魔するからです。
でもそれは哲人に言わせてみれば、「勇気が足りないだけ」。
いつもより少し勇気を振り絞って「普通」であることを心掛けるのも悪くないかもしれません。