注意も関心のうち

みなさんは相手にどういった行動を求めますか。

 

挨拶やお礼を言える。

人にやられて嫌だったことを自分もやらない。

協調性。

笑顔での会話。

 

恐らく色々なことを思い浮かべるでしょう。

 

私は仕事柄、会社組織の上層部と日常的にやりとりがあり、毎日のようにどうすれば「相手の期待」「求めている業務水準」に応えることが出来るかを考えることが多いです。

 

自分がそういった基準をきちんと満たすことが出来るように行動を取っているつもりのため、相手にも同じようなことを求めてしまいがちです。

 

しかし、会社の上層部は時として、気まぐれな集団と化します。

 

とある日の上司:「前回と同じように書類作っておいて」

雑草魂:「承知しました」

数日後の上司:「これじゃだめだよ。前回と同じだとつまらないだろ」

雑草魂:「(心の声:嘘だろ?!?!)・・・承知しました」

 

こんなやりとりがしょっちゅう行われる中、様々な思いに苛まれるのです。

 

悔しさ・・・「準備の仕方が甘かった」

いらいら・・・「指示通りにしたのに」

切なさ・・・「その一言で今までの労力が水の泡だ」

 

言動の食い違いは私から言わせてみれば、ルール違反も甚だしいところです。求めていた行動、予想していたやりとりとは全く違います。

 

一方で上司側からしてみれば、ただ単に私が基準に達していないだけなのかもしれない。

今まではそういった玉砕した状態からどうにかまた次へ繋がるように負のオーラをまといながら道を探っていました。

 

でも、最近はもしかしたら、今後の成長に期待してあえて注意してくれているのかもしれない。とも思うのです。

 

人に怒ることや注意すること、嫌いになることはエネルギーを使います。

 

なんならリスクが高すぎます。

 

上司が部下を注意した場合、部下は会社を辞めてしまうかもしれない。

友人同士の仲で相手に怒った場合、何年もの思い出が一瞬にして消え去るかもしれない。

親が子供に厳しくしつけをした場合、子供はトラウマとして心に傷を抱えるかもしれない。

 

そういったリスクを抱えてでも、注意してくれる存在はやっかいなものと思うのではなく、ありがたいと感謝するべきものなのではないかと考えられるようになりました。

 

「本当に怖いのは無関心の対象となること。注意されているうちは華」と声を掛けてくれる人がいるから、ほんの少しだけですけど、また一歩前進。

 

どうせなら苛つく毎日ではなく、笑いで溢れる毎日を過ごしたいから。